柔道ニュース



●1999年6月

 太平洋選手権大会 出場選手が変更になりました。
 63Kg級 南千草選手は、アジア選手権に木本奈美選手と変更の為、山田真由美選手に変更されました。
 (1999年6月1日16時27分)


●1999年5月

 アジア選手権大会 日本代表選手の変更を決定されました。  63Kg級 木本奈美選手は、寝技乱取中、脚で相手の関節を取ろうとして、内側にひねられ、左膝外側副靱帯損傷(完全断裂)し、全治約2ヶ月と診断されました。
 この為、南 千草選手に変更されました。

・本人からのコメント
 先日の全日本女子選抜に負け、世界選手権大会に出られず、アジア選手権に向け頑張って来たのに、このような形で出られないのはとても残念です。早く怪我を治し、基本をしっかり見つめ直して、来年に向けて一からやり直したいです。
 (1999年5月27日19時14分)


●1999年2月

 東京運動記者クラブ柔道分科会は9日、今年度の優秀選手(分科会賞)に、男子は全日本選手権で初優勝した篠原信一(旭化成)、女子は福岡国際63キロ級優勝の木本奈美(住友海上火災)をそれぞれ選びました。
 (1999年2月9日)
・柔道着の生地の厚さ制限へ
 全日本柔道連盟の審判委員長は月4日、同日開いた審判委員会で、柔道着の生地の厚さにも一定の規格を設けてルール化する素案づくりに着手したことを明らかにした。
 「JUDO」の国際化に伴って、日本製より生地の分厚い外国製の柔道着が欧州を中心に普及し、選手からも襟やそでがつかみにくくて技をかけにくい、との苦情が増えていた。
 このため、講道館の試合審判規定に、上着の襟の幅や厚み、そでの折り返し幅、裏地に付ける補強生地の制限などを盛り込み、まず、国内でルール化。その後、国際柔道連盟(IJF)に統一した柔道着の使用の制度化を働きかけていく方針。委員長によると、次回の審判委員会(5月)で具体的にまとめて理事会に諮る予定だ。
 (1999年2月5日)


●1998年12月

・全柔連が組織委、アジア柔連に抗議へ
 バンコク・アジア大会第4日の9日にタマサート大第6体育館で行われた柔道女子63Kg級決勝の王顕波(中国) 対 木本奈美(住友海上火災)戦で、審判員が1度下した判定を直後に覆す不手際があった。
 規定ではひとたび審判員が試合場から下りたら判定を覆せないとされているが、今回はそのルールを棚上げ。
 全日本柔道連盟は藤田弘明強化委員長名で大会組織委、アジア柔道連盟(JUA)に10日付で抗議文を提出する。
 問題となった決勝の試合は、王が「技あり」を先取。木本は終盤まで反撃し、終了のブザーと同時に「一本」を奪い、1度は勝利が告げられた。しかし、大会組織委柔道競技技術責任者を務める金氏(韓国)、竹内善徳JUA審判委員長ら が協議した結果、木本の技はブザーの後と判断され「王の優勢勝ち」に訂正。ウラジミール・キム主審(カザフスタン)と副審2人が再度試合場に上がり、判定を覆した。
 竹内委員長は「われわれはルールの上で大きな間違いをしたことは承知している。しかし、審判員に誤審があり、昨年の世界選手権(パリ)の際のようには放置しないことにした」と説明。キム主審は「観客の歓声でブザーが聞こえなかった」とミスを 認めた。同主審にはJUAから出場停止処分が科せられる見込み。金氏は「ノーコメント」とした。
 昨年の世界選手権では明かな誤審があったとされ、6人の審判員が国際柔道連盟から2年間の出場停止処分を受けた。
 (1998年12月9日)


●1998年10月

・第13回アジア競技大会 日本選手団の主将が決まる
 日本オリンピック委員会(JOC)は21日開いた理事会で、12月にバンコクで開催される第13回アジア競技大会に派遣する日本選手団の主将に、柔道男子100キロ超級の篠原信一選手(25)(旭化成)を選びました。
(1998年10月21日)


●1997年12月

・全柔連盟 ゼッケンに商品名認める
 全日本柔道連盟(全柔連)は2日、専門委員長会議を開き、福岡国際女子選手権(13〜14日、福岡国際センター)で選手が柔道着に付けるゼッケンに、商品名を入れることを決めました。
 ゼッケン広告はこれまで企業名だけが認められていました。5日の理事会で正式決定されます。
 全柔連は一昨年、財政再建策の一つとして国内で開く国際大会と、国際ルールで行われている全柔連主催7大会で広告入りゼッケンを導入しました。
 (1997年12月2日)


●1997年10月

 国際柔道連盟(IJF)は10月2日の審判委員会で、柔道着の左襟が右襟の上になるように、審判員に正しい着用の確認を義務付けることを決めました。
 昨年のアトランタ五輪女子48キロ級で、田村亮子選手(帝京大)がケー・スンヒ選手(朝鮮民主主義人民共和国)に敗れた一因に、左襟を下にあわせた逆襟を挙げる声もあります。
 これまで、国際柔道連盟審判規定に逆襟禁止は明文化されていませんでした。
 (1997年10月4日)


●1997年9月

 2008年の夏季オリンピックに、中国が立候補する見通しです。
 (1997年9月9日)

 2004年オリンピック開催地が、近代オリンピック発祥の地、アテネに決定しました。
 (1997年9月6日午前2時)


●1997年8月

 2008年オリンピックの開催地で、日本では大阪にぐんぱいが上がりました。
 開催地は、2001年に決まります。
 大阪で行われる場合、75%は市内で開催され、メインは大阪湾となります
 (1997年8月13日)


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