柔道選手をお休みします

みなさんこんにちは。
いつもご声援、有難うございます。

さて、この度私は柔道選手をお休みすることにしました。
ここまで本当に多くの人に支えられ、
何とかへこたれずに頑張って来ることができました。
思えば5歳で柔道を始め、高校選手権で優勝し、筑波大学に進学できたことで、
自分の柔道人生が変わり始めました。
まさか、こんな年になるまで
柔道を好きで続けられるなんて全く想像していませんでした。

5歳の時に母の口車に乗って(実は剣道をしたかったのです)
柔道教室に連れて行ってもらったのが柔道との出会いでした。
母の兄、つまり私の叔父がそこで柔道の指導をしていました。
あのとき柔道ではなく剣道を始めていたら、
きっと面を打たれまくって、もっと身長が低かったに違いありません。
という冗談はさておき、
結局私が中学卒業まで通うことになった宇治柔道教室ですが、
選手養成、と言う感じの町道場ではなく、
子どもたちに礼儀作法をしっかり身につけさせよう、という
趣旨の道場であったように思います。
今考えると、あの5歳から15歳まで10年間通った道場の先生方が、
熱心にご指導してくださったことはもちろん、
私を「柔道大好き」にさせて下さった事が、この年まで続けた理由の大きな要因に
なっていると思います。
ありがとうございました。

そして、成安女子高校(現京都成安高等学校)に進学。
現役生活最後まで指導していただいた藤猪省太先生に巡り会うことができました。
先生からは、高校の3年間、大学を卒業してからの7年間、
柔道に関して、また人間の生き方に関して、そして
将来指導者としても頑張っていけるように、柔道指導に関しても
多く学びました。
私の柔道選手生活において、多大な影響を与えてくださった先生です。 ありがとうございました。
先生に教わったおかげで、私は高校選手権で優勝でき、
また世界選手権にも出場できたのだと思います。
セットされた練習メニューだけではなく、自分で考え
工夫することの大切さを知ったのもこの辺りだったと思います。
世界への漠然とした憧れを抱いていた時期から
自分も頑張れば何とか・・・、と考えるようになった時期でした。

高校卒業後、筑波大学に進学しました。
ここでは、国内で戦う事を想定するのではなく、世界で勝つためには、
と言うレベルの高い柔道を学びました。
そして、自分に妥協していたのでは世界で勝てない、
「今」しかできない、「今」という時期に思いを込めて柔道づけになってやれ!
という必死になること、集中することを学んだ時期でした。
そして、本当にコレが柔道の練習だ!!というくらい毎日毎日きつい稽古をしまし
た。
1年生の頃は、気がついたら柔道場にいて練習をしている、と言う感じだったことを
覚えています。
理詰めの寝技、自分の為に自分に妥協しないことを徹底して
教えてくださった竹内善徳先生、中村良三先生、
小俣幸嗣先生、山口香先生、その他多くの先生方、コーチの先生方、
本当にありがとうございました。
目標を世界という高い舞台にはっきり向けた時期でした。

4年生まで頑張れるかなあ?と思っていた自分が
まさか実業団に行ってまで選手をすることになろうとは
思っても見なかったことでした。
私という選手を受け入れてくださったのはダイコロ株式会社。
現在所属している会社です。
大変懐の深い会社で、何度失敗しても、負けても
「挑戦してみろ!」
と、長い目で見てくださいました。
25歳で初代表になれたのも、こういった会社のやる気を出させてくださる雰囲気、
そして選手としての自分を信じてくださった
松本会長、駕田社長、大山部長を初めとする会社の方々のおかげです。
自分で練習計画を作成し、妥協しないように追い込み
頑張ることは容易ではありませんでした。
そんな時に励まして下さった諸先輩方、
そして同僚、会社の方、後輩たち、柔道仲間・・・・・。
多くの人の中で生きているんだ、と実感した時期です。
また、同僚であり柔道仲間であり、時にはライバルと呼ばれる間柄でもあった
楢崎教子選手には、色々なアドバイスをもらったり、悩みを聞いてもらったり、
時には激しく闘志を燃やしたり、と、
色々立場でありながら、私の柔道人生において
大変影響を与えてくれた人です。
ここまで粘っこく頑張れたのも、この楢崎選手の存在が大きいと言っても過言ではあ
りません。
自分が試合に出ないときには私の付き人までもかって出てくれました。
本当に感謝しております。

このように、色々な方々との出会いがあって、初めて
永井和恵という人間は、
柔道選手として、畳にあがることができていました。
そして、このインターネット後援会の皆様。
管理人をしてくださったいずさん。
それから、家族のみんな。
ダイコロに入社して、会社の理解を得て成安高校に講師としていくようになってから
バックアップしてくださった、柏原先生、中嶋先生。
そして最後まで私を戦おう!という気にさせてくれた柔道部の生徒たちも。
まだまだここには書ききれないくらい多くのみなさんが私を支えてきてくださいまし
た。
この場を借りて心よりお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

これからの私ですが、
3月までは、ダイコロに勤務しながらダイコロ柔道部を
そして、母校京都成安高校にて柔道部を応援します。

4月からは仙台大学で講師をしている主人のいる宮城に行き、
宮城県で新たに柔道に携わっていけるように頑張りたいと思います。
まだ詳しくは決まっておりませんのでまた決まり次第報告したいと思います。
大好きな柔道をここまで続けられて、本当に幸せでした。
これからも柔道で学んだ事を活かし、
前向きに頑張っていきたいと思います。

いつも感謝の気持ちを忘れずに。

ありがとうございました。

            2001年11月